科学読み物    ―チャートの発見物語―  改訂版3

  今、みなさんが手にしている石はとてもつるつるとした手さわりよ
い石です。この石は河原や岸、道ばたの石ころとしてごくふつうに見ら
れる石です。みなさんの家の近くにはころがっていませんか。
 この石はとてもかたい石なので、庭の敷石(しきいし)などに使われた
りします。昔は、火打ち石として使われていました。 ふつう石や岩は
かたそうにみえても、たいていは長い年月の間にくずれて砂やドロにか
わっていきます。しかし、この石はとてもかたい石なのでいつまでもく
ずれないで石ころになってころがっているのです。
 はじめにこの石に名前をつけたのはイギリスの科学者です。チャート
と名づけました。どうしてそういう名前をつけたのか今によくわかって
いません。日本でもこの石はチャートという名前で呼ばれています。
 この石のもとになるチャートの地層(ちそう)は日本の各地(かくち)でみら
れます。たいていは図のようにうすい地層(ちそう)が何重(なんじゅう)にもか
さなって出ています。                
 このチャート地層(ちそう)もとてもかたいです。手がきれるほどです。 
 チャートは、火山の近くや花()こう岩(がん)の山ではほとんど見られま
せんが、そうでない地方では海岸などで石ころとし見られることがありま
す。また、砂の地層の中に石ころとして入っていることもあります。
 このチャートの丸い石ころは、かたいチャートの地層(ちそう)がくずれて、
川から海に運(はこ)ばれて、波で丸い石ころとなり砂とまじりあって、そこ
がまた地層(ちそう)になり山になり、その山の地層(ちそう)がくずれて出てき
たものです。
 さて、ふつう岩石はいくつもの鉱物(こうぶつ)が入りまじってできています。
たとえば、花崗岩(かこうがん)という岩石は石英(せきえい)、長石(ちょうせき)、雲
母(うんも)などという鉱物(こうぶつ)がもとになってできています。火山の石は
輝石(きせき)、角閃石(かくせんせき)などという鉱物(こうぶつ)がたくさんはいって
います。                             
 これらにくらべて、チャートは石英の成分(せいぶん)できた石なのです。石
英はケイ素()(Si)と酸素(さんそ)(O)がむすびついた二酸化(にさんか)ケ
イ素()(SiO2)という分子(ぶんし)でできています。
 科学者は、はじめチャートという石は海水中にあるこまかいこまかい石
英のつぶが、海底にたまってかたまった石だと考えていました。ところが、
このチャートを顕微鏡(けんびきょう)で見てみると、その石の中になにやらふし
ぎな模様(もよう)のつぶがいっぱいあることがわかってきました。1920年代に
なって、やがてこの模様(もよう)は海の中にいる小さな小さな放散虫(ほうさん
ちゅう
)という生きものの形だということがわかりました。 
 放散虫(ほうさんちゅう)というのは海水中の二酸(にさん)化()ケイ素()(SiO2
をとりこんで自分の体をつくっている小さな生きもの(約0.2mm〜0.5mm)です。
その放散虫(ほうさんちゅう)の化石がチャートの中に入っているのです。                    
     
 1970年代になって、この放散虫(ほうさんちゅう) の形をしらべていたアメ
リカのテキサス大学のペッサニオ先生は、放散虫(ほうさんちゅう)の体は、
その時代時代によって少しずつちがった形をしていることを発見していました。
 そこで、このペッサニオ先生の学生だったレオ・ニューポートさんはこの
小さな化石をもっとしらべたいと思いました。それには、この化石のまわり
をうめている二酸化(にさんか)ケイ素()のつぶをきれいに取りのぞかなければ
なりません。
 ところが、この二酸化(にさんか)ケイ素()というつぶのかたまりはとてもか
たく、塩酸(えんさん)や硫酸(りゅうさん)ぐらいではとけません。いろいろためし
ていているうちにフッ酸(さん) という薬品(やくひん)ならかなりとけることがわ
かりました。あまりとけすぎると化石になっている放散虫(ほうさんちゅう)もとか
してしまいます。ニューポートさんはいろいろ工夫して、ちょうどうまく化石
のまわりの二酸化(にさんか)ケイ素()のつぶだけをとりのぞくことに成功(せいこう)
しました。 そのようにして、よく化石が見えるようになったチャートを電子
顕微鏡(でんしけんびきょう)で見たニューポートさんはアッとおどろきました。なんと、
顕微鏡(けんびきょう)の下に見えるのは、ぎっしりつまった放散虫(ほうさんちゅう)
の化石でした。 「チャートはまるで放散虫(ほうさんちゅう)の化石の集まりだ。」
と、びっくりして、このことを世界中に発表しました。          
                  

 ニューポートさんの、チャートから放散虫(ほうさんちゅう)の化石を取り出
せる技術(ぎじゅつ)の発見は、その後のチャートの研究を大きく進めました。
やがて、チャートの中の放散虫(ほうさんちゅう)化石の形を見れば、そのチャ
ートの入った地層(ちそう)は何時代のものか知ることができるようになれました。
 日本の科学者も日本各地のチャートの地層(ちそう)の中にふくまれている放散
虫(ほうさんちゅう)の化石をしらべ出しました。すると、いままで日本の地質学(ちし
つがく
)の考えをひっくりかえす結果(けっか)がおこりました。日本では今まで、
このチャートの出る地層(ちそう)は、恐竜(きょうりゅう)のいた時代よりも古い約3億
(おく)年以上も前のものと考えられていました。
 しかし、そのほとんどはもっと新しい恐竜(きょうりゅう)の時代のものということ
になりました。約1億(おく)年ほど時代が新しくなったのです。   
 さらにもうひとつ、今までの考えをひっくりかえす考えが生まれました。今ま
で、日本に出ているチャートは今の日本が暖かい海だった時にその場でできたも
のだと考えられていました。しかし、この考えもチャートのできかたからみて、
大きくかえられることになりました。 「今みなさんがすんでいるこの日本のほ
とんどの場所は、もともとからそこにあったのではなくて、はるか南の太平洋の
かなたからやってきたものだ」というと、そんな話を信じるでしょうか。それが
本当の話なのです。どうして、そのようなことがいえるのでしょうか。 昔、ド
イツの科学者アルフレット・ヴェゲナーという人がアフリカ大陸とアメリカ大陸
とがくっついていたのが、だんだんとはなれていって今のような形になったのだ
と考えました。その話も本当であることが近年(きんねん)の科学でわかってきたの
です。
 科学者の考えによると、地球の表面(ひょうめん)はいくつかのプレートという板に
分かれていて、それが、ゆっくりと動いているというのです。ハワイの島も1億
(おく)年後には日本近くにやってくるです。

チャートがもし今の日本の近くの海の底でできたとしたら、陸地(りくち)からの
泥(どろ)や砂が入ってくるはずです。チャートにはそれらがふくまれていないの
です。そこで科学者たちは、チャートは陸地(りくち)から遠くはなれた深い海の底
でできたと考えています。 日本近海では、フィリピン海プレートという大き
なプレートが1年に約3cmの早さで日本の南岸におしよせていることがわかっ
ています。科学者たちは、チャートという地層(ちそう)はこのフィリピン海プレー
トにのって南の海からやってきて大陸(たいりく)のふちにぶつかってとりこまれた
のだと考えています。その大陸(たいりく)のふちが今の日本列島(れっとう)なのです。

  こう考えると、今手にしているチャートは約(やく)1億(おく)年もの長い長い年
月をかけて遠い遠い南の海からやってきた‘南の海の旅人’だということになり
ます。 小さな石ころ一つにもたくさんのなぞがかくされているのです。                              おわり 西村寿雄〔2002,2,7〕 

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